執筆者
ヤマハ発動機株式会社
生産本部 製造技術統括部 PT鉄物技術部 第2製造技術1グループ
犬嶋 一貴
論文要旨
浸炭焼入れは、素材の硬度上昇を通して鉄物部品の強度を上げる工法として、工業的に広く用いられている。浸炭の方法にはガス浸炭と真空浸炭の2種類あり、ガス浸炭では被処理物の形状や熱処理条件が製品の品質に大きな影響を及ぼしにくい反面、素材の最表面に脆い酸化層が析出する点に課題がある。一方、真空浸炭は脆い酸化層の析出を抑制でき、設備からCO2を排出しない反面、被処理物の表面積やガス流量のわずかな違いが製品の品質に大きな影響を及ぼすなど、安定的な生産に課題がある。ヤマハ発動機では、高馬力エンジンを搭載し、高い負荷がかかる大型マリンエンジン(ME)に供するベベルギヤに真空浸炭を採用している。
昨今要求されるカーボンニュートラル(CN)を浸炭焼入れ工程に求めるならば、ガス浸炭の真空浸炭化は有効である。真空浸炭化には被処理物や熱処理条件が製品品質に及ぼす影響の定量化が不可欠であり、そのためには浸炭挙動の把握が必要であった。本稿の取組みでは、真空浸炭時に排出される水素ガスの測定を通じて真空浸炭での浸炭挙動を把握し、浸炭条件を調整することで、まずは真空浸炭熱処理の充填率向上を試みた。結果、充填率を約2倍に向上させることに成功し、製品1つ当たりの熱処理コストと消費電力量を約48%削減することができた。本稿で導出した理論式を用いてガス浸炭品を真空浸炭に乗り入れることができれば、最大で823トンのCO2排出量削減が見込まれる。
はじめに
マリンエンジン(以下、ME)の足回りを構成する機能部品はエンジンの回転を伝達するドライブシャフト、プロペラを回転させるプロペラシャフト、ドライブシャフトの回転をプロペラシャフトに伝えるベベルギヤ等により構成される(図表-1)。このうちベベルギヤは高速で回転するシャフトの回転を受け止め、変換し、伝達する機能が求められており、エンジンが高出力化(大型化)するほど高い面圧が必要となり、高強度化が求められる。
浸炭焼入れとは、鉄物部品に高温で炭素を含浸(浸炭)させた後、低温で急冷(焼入れ)する工法をいう。浸炭焼入れにより、硬さ及び強度を向上させることができ、とくに浸炭工程は原理の違いからガス浸炭と真空浸炭の2種類に分けられる(図表-2)。

図表-1 マリンエンジンの動力伝達機構

図表-2 浸炭工法の原理
ヤマハ発動機の大型MEには、最大450馬力を発揮する大排気量エンジンを搭載している。大排気量エンジンのトルクに耐える必要性から、大型MEのベベルギヤには高強度化の見込まれる真空浸炭焼入れが採用されている。真空浸炭は最表面に脆い酸化層が析出しないことから、被処理物の高強度化に有利であるほか、ガス浸炭のように浸炭性ガスを常時燃焼させる必要がないため、浸炭性ガス由来のCO2排出量を大幅に削減することができる特長がある1)2)3)。しかしながら、真空浸炭の条件設定に当たっては、ガス浸炭で考慮する内容に加えて被処理物の表面積や浸炭性ガス流量なども考慮する必要があり、浸炭条件設定がガス浸炭と比較して極めて煩雑となる。
これは、ガス浸炭では処理温度と処理時間が重要であり、被処理物の表面積や浸炭性ガス流量は製品の品質にほとんど影響を与えない一方、真空浸炭では被処理物の表面積に応じて適切に浸炭性ガスを供給する必要があり、処理温度と処理時間に加えて被処理物の表面積や浸炭性ガス流量も重要となるためである4)。
本稿では真空浸炭炉の排気配管に新たにセラミックス式の水素センサーを設置し、真空浸炭時に排出される水素の総量を調査しつつ、適切な浸炭条件を模索した。ここで考案した浸炭条件を適用した結果、1バッチ当たり充填率2倍での安定生産を達成でき、熱処理コストと消費電力量を48%削減することができた。加えて、水素濃度の監視を通した再発防止の体制を整えることもできた。
難しさと課題
2.1 真空浸炭品の特徴と難しさ
ヤマハ発動機で生産している大型ME用ベベルギヤの高さは最大で67.5mm、径は最大φ129と、平歯車と比べて肉厚な構造となっている。ベベルギヤ強度向上のために熱処理工程が付与する機能は、主に表面硬度と硬化深さである。表面硬度と硬化深さを維持しつつ充填率向上を見込み、製品と同一形状のテスト品2種類を用いて、従来の浸炭条件のまま充填率のみを上げた試作を行ったところ、配置位置によって著しい硬度のばらつきがみられた(図表-3)。
体積や表面積が増加したため、供給する炭素が足りなくなることは予想しえたが、炉内ばらつきが大きくなったのは予想外であった。熱処理後のテスト品に対して、電子プローブマイクロアナライザー(EPMA)により炭素濃度を測定したところ、荷姿の中心部に配置したワークでは良品と比較して炭素濃度が著しく低いことが分かった(図表-4)。

図表-3 熱処理荷姿各位置での表面硬度と硬化深さの結果

図表-4 中心部と外縁部の炭素濃度
このことから、従来条件のまま充填率を上げた場合にはテスト品全体に炭素が十分に供給されなかったことが予想されるため、充填率を上げるならば、最適化した浸炭条件に変更する必要があると考えた。
本稿では真空浸炭の技術理論値にのっとり、被処理物の表面積を定義し、求める品質を達成するために被処理物が吸収すべき炭素量と、被処理物以外の治具や設備等が吸収してしまう炭素量の和から浸炭条件(浸炭性ガス流量と処理時間及び温度)を決定した。
2.2 被処理物の表面積定義とテスト品の測定項目
ヤマハ発動機の真空浸炭設備はバッチ生産を前提とする設備であり、試作を行うには大量のテスト品を要する。そのため、テスト品の表面積及び重量を合わせたダミー材を作成し(図表-5)、試作を行う際は、硬度等の測定用に配置するテスト品以外は上記のダミー材を混載して、炉内充填率2倍の状態を再現した。処理荷姿及びテスト品配置位置は図表-3に準じ、測定用に配置したテスト品は表面硬度・硬化深さ・炭素濃度を測定した。

図表-5 試作に供したダミー材
2.3 吸収すべき炭素量の明確化
被処理物が吸収すべき炭素量は2.2で定義した表面積及び、現在生産中の大型MEベベルギヤの炭素濃度をEPMAにより測定した結果より計算した。なお、現状製品の炭素濃度は無作為に抽出した同形式20個の平均を採用した。EPMAにより実測された表面からの深さ𝑥[mm]での炭素濃度を𝐶x[mass%]、母材の炭素濃度を𝐶[mass%]、テスト品の表面積をS[mm2]、1バッチの入れ個数をN[個]、全浸炭深さをL[mm]、鉄鋼材料の密度をD[g/ mm3]とすると、ワークが吸収すべき炭素量MA[g]は式(1)のように表せる。
式(1)に測定結果と素材の諸元を当てはめると、従来通りの充填率においては1バッチ当たり約106g 、炉内充填率を2倍にした場合で約212gの炭素を被処理物に供給する必要があると見積もられた。
2.4 被処理物以外が吸収した炭素量の明確化
真空浸炭炉内に導入される浸炭性ガスは、被処理物だけでなく熱処理治具や炉壁などにも吸収されることが見込まれる。したがって適切な浸炭条件を決定するには、被処理物が吸収すべき炭素に加えて、被処理物以外が吸収する炭素量も明確化する必要がある。本稿では、真空浸炭炉内では式(2)のような化学反応が進行することを利用して、浸炭中に排出された水素量の測定を通して炉内に供給された炭素量を計算した。
C2H2→2C+H2 (2)
水素センサーは真空浸炭炉の排気管部に新たに設置した。なお、ヤマハ発動機保有設備の排気配管は1本のみで、設置した水素センサーには、応答性・正確性の観点から(株)TYK製NOTORP-Gを用いた。
真空浸炭中にテスト品及びダミー材以外で炭素を吸収しうる物質として、①炉壁、②熱処理治具、③運搬用トレーの3種類が挙げられる。①、③が吸収した炭素量は、運搬用トレーのみを真空浸炭した際の水素の排出量を測定することで導出し、②は処理する前後で熱処理治具を一部切断し、燃焼法により炭素濃度を測定した。①~③を合算すると、炉内反応によって製品以外に約113gの炭素が吸収されると計算された(図表-6)。
このことから従来通りの充填率で良品を生産する場合113+106=219g、充填率を2倍にした場合113+212=325gの炭素を炉内に供給する必要があることが分かった。

図表-6 炉内で炭素を吸収する物体とその吸収量
現状調査
3.1 浸炭性ガスが供給可能な炭素量調査
充填率を2倍としたときに必要な炭素量325gに対して、従来条件で浸炭性ガスが供給可能な炭素量を計算し、炭素量の過不足を評価した。真空浸炭では浸炭性ガスとしてアセチレンを使用している。炉内に導入されるアセチレンの導入流量をVC2H2[L/sec]、浸炭時間(アセチレン導入時間)をt[sec]として、導入したアセチレンが式(2)の分解反応によってすべて分解した場合の炉内に供給される炭素量MC[g]は式(3)のように概算できる。なお、計算の上では浸炭性ガスを理想気体とし、水素、炭素の原子量をそれぞれ1、12とする。
MC=VC2H2/22.4×t×2×12 (3)
式(3)に従来条件の諸元VC2H2=1.25L/sec、t=990secを代入すると、アセチレンがすべて分解した場合に供給される炭素量MCは1325g(>325g)であり、従来条件のまま充填率を2倍にしても炉内に供給可能な炭素量は十分であることが判明した(図表-7)。

図表-7 従来の浸炭条件と導入される炭素量
3.2 被処理物が実際に吸収した炭素量調査
従来条件において浸炭性ガスが供給可能な炭素量1325gに対し、実際に浸炭性ガスが分解し、被処理物が吸収した炭素量を前述の水素センサーにより測定した。希釈流量として真空浸炭炉に常に導入している窒素の導入流量をVN2 [L/sec]、𝑖-1secから𝑖secまでに測定される水素濃度を𝐶H2、𝑖[Vol%/sec]とすると、炉内で分解した炭素量MD[g]は式(4)で表せる。ヤマハ発動機の設備ではVN2=0.117L/secであり、従来条件かつ充填率のみ2倍とした試作の際に実測されたCH2(図表-8)を式(4)に代入すると、MD=283gとなる。
上述の通り、充填率を2倍とする場合、必要な炭素量はMD=325gとなるため、従来条件で排出された水素量は、良品生産のために必要な水素の発生量に対して少ないことが分かった。
よって、従来条件では十分に浸炭性ガスは供給されているものの、浸炭性ガスが未反応のまま炉外へ排出されてしまっている状態であり、これが配置位置によって硬度が著しくばらつく(荷姿の中心部付近での硬度が入りにくくなる)原因であると推定した。

図表-8 浸炭時間経過による実測水素濃度の変化 (従来条件)
仮説と検証方法
現状調査の結果から、従来条件のまま充填率を2倍にすると、炉内に導入する浸炭性ガスの導入流量が多すぎて、浸炭性ガスが浸炭後に発生する水素の排出を阻害してしまう仮説を立てた(図表-9)。

図表-9 浸炭性ガス大量導入が水素の排出を阻害するメカニズム (仮説)
仮説の検証として、ガスの導入流量(VC2H2)が0.2L/sec、0.35L/sec、0.5L/sec、0.67L/sec、1.25L/sec(従来条件)のとき、各流量に対し同じ浸炭時間で図表-3に示す荷姿にてテスト品に対して試作を行った。各導入流量での表面硬度を測定したところ、0.5L/secのときの表面硬度がもっとも高かったため、ヤマハ発動機の真空浸炭炉では、0.5L/secが最適な導入流量であることが分かった(図表-10)。なお、この試作では試作時間短縮を見込んで、従来条件よりも浸炭時間が短い条件で処理を行ったため、従来条件と同じ1.25L/secであっても表面硬度が図表-3のOK範囲以下となったものが多くなっている。

図表-10 アセチレン導入量と被処理物表面硬度の関係
次に、導入流量VC2H2=0.5L/secとした場合、充填率2倍としたときに必要となる炭素量(325g)を導入するために必要な浸炭時間を考える。ガスの導入流量を小さくしても従来条件と同程度の水素濃度が見込めると仮定し、式(4)よりMD=325gとして逆算すると、浸炭時間t=1680秒となった。よって、新条件では導入流量0.5L/sec、浸炭時間1680秒として改めて試作を行った。
仮説に基づく新浸炭条件の構築と試作結果
ガスの導入流量を1.25L/secから0.5L/secに低減させ、浸炭時間を990秒から1680秒に延長した新条件にて、図表-3に示す荷姿を再現してテスト品A・Bに対し試作を行った。その結果、荷姿の外縁部だけでなく、中心部にも硬度が入っていることが分かった(図表-11)。
併せて、荷姿の外縁部と中心部を問わず従来条件よりも多くの炭素が入っていることと、新条件では従来条件よりも多くの水素を排出したことが、EPMAによる炭素濃度測定の結果と水素センサーの実測値から分かった(図表-12)。
新条件での水素濃度実測値を式(4)に代入すると、MD=798gとなり充填率2倍としたときに必要となる炭素量325gを満足していた。理論値である325gに対する余剰分の炭素はテスト品が吸収したと考えられる。

図表-11 熱処理荷姿各位置での表面硬度と硬化深さの結果(配置は図表-3に準じる)

図表-12 炭素濃度分布と浸炭経過時間による実測水素濃度の変化(従来条件と新条件)
新条件にて従来条件よりも多くの炭素が入ったことによる異常組織はいずれのテスト品でも見られなかったものの、生産織り込みの際には調整を要した。理論値であるMD=325gを狙って条件を設定したにもかかわらず、新条件では798gと大幅に超過した要因は、炉内に供給される炭素量MCに対する炉内で分解した炭素量MDの効率がガス導入流量の低下により大幅に上昇したためと考える。
歯止め
図表-8及び図表-12で示された結果は、水素発生量の監視を通じて炉内への炭素供給量を監視できることを示唆している。真空浸炭焼入れ実施後に硬度分布の測定を行うまでには通常の場合12時間程度のリードタイムがかかるため、万一、真空浸炭設備要因で品質不良を発生させてしまった場合でも、処理後約12時間は気付くことができず、当該設備に次ロットを入れてしまい品質不良を拡大させてしまう懸念があった。
一方、水素濃度は処理中に監視することができるため、水素濃度の監視を通じて品質不良の拡大を防ぐことができると考え、現在ヤマハ発動機の真空浸炭炉では水素濃度の監視を行っている。
将来的には規定の水素濃度が出ていなかった場合、熱処理を途中で中断し、警報を発報できるような機構を検討している。
効果
推定原因の改善により得られた知見から、従来の浸炭条件に以下2点の変更を加えた。
・ガスの導入流量を40%低減
・浸炭条件の処理時間を延長
この変更により真空浸炭炉での生産量を2倍に増やすことと、品質不良の未然防止への貢献ができた。本稿の活動により得られた効果は下記①、②、③の通りである。
① 本条件を適用する対象機種の熱処理製造コスト・電力使用量48%低減
② 設備由来の品質不良発生リスクの回避
③ 当設備における真空浸炭の技術理論確立
本稿で得られた知見は、将来的にガス浸炭品を真空浸炭に乗り入れる際の浸炭条件設定にも活用できるものであり、ガス浸炭品をすべて真空浸炭にできれば年間823tのCO2排出量削減が見込まれる。
おわりに
従来、真空浸炭の課題であった浸炭条件設定の難しさは、セラミックス式水素センサーによる水素濃度の分析結果を組み込んだ技術理論の確立を通じて解決することができた。加えて、排出される水素量の監視を通した新しい品質管理手法も定義することもできた。
深刻化する地球温暖化への配慮からガス浸炭の利用は今後さらなる縮小が求められると予想される。本稿で得られた知見を大型ME用ベベルギヤにとどまらず、あらゆる鉄物部品に展開・活用し、社会への価値を高めていきたい。
参考文献
1) 森田ら;真空浸炭中の炭素侵入機構、電気製鋼、77-1、5-9(2006)
2) 水野ら;鋼の浸炭焼入熱処理の現状とこれから、日本マリンエンジニアリング学会誌、46-5、669-673 (2011)
3) 日本熱処理技術協会;熱処理技術入門、日本金属熱処理工業会、227-242(2004)
4) 田中辰実;真空浸炭炉導入のメリットと現場(熱処理)が求める設備の将来像、電気製鋼、84-2、123-128(2013)
TPM賞とは
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本記事では、設備管理技術に関するシステムの研究あるいは改善実績等の論文で、独創性、効果、汎用性に優れているものを表彰するTPM優秀論文賞を受賞された論文を紹介しています。
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